「米騒動は誤解されている」いまを生きる魚津の人々の想い

『米騒動』は、日本人のほどんどが知っている、といえる事件です。教科書にも掲載され、軍隊が鎮圧に出動し、時の内閣を倒すほどの激しい事件であったことから、やや暴力的なイメージが付きまとっています。
その発祥の地とされる富山県魚津市で「あの時何が起こったのか」「なぜ事件が『魚津』から起こったのか?」実態や真相を確かめてみたいと、地元魚津の人々が立ち上がりました。
当時を知る高齢者から聞く話は、魚津町であの時起こった出来事は決して暴力的なものではなく(事実、逮捕者はゼロ)生活苦から慎ましい暮らしを強いられた漁師の妻たちの哀願であったということでした。 『米騒動』からまもなく100年となるこの時、当時から現存する米蔵を起点に、高校生を中心としたいまの魚津を生きる人々がその痕跡を追います。

「あの時、魚津町で何が起こっていたのか」米騒動からまもなく100年を迎える今の魚津を生きる人々が、残された資料や言い伝え、子孫を訪ね歩き、その痕跡をたどります。高校生を中心としたメンバーが何を感じ、何を思うか?やがて彼らはさまざまな疑問に出会い、新たな発見をしていきます。映画は、その姿を追います。

魚津の高校生
魚津工業高等学校、桜井高等学校、新川高等学校
今の魚津を生きる地域の人々
漁業関係者、浜辺の人々、歴史研究者…など
監督 神 央

TV番組:NHK BSP「空海 至宝と人生」「にっぽん巡礼」「にっぽん百名山」
ドキュメンタリー作品:「音和橋」日中国交正常化35 周年記念日中音楽交流推進ワークショップin 南京(外務省)

北陸・富山県の東にある魚津市。町の海岸に築100年を超す古い蔵がある。 素朴で鄙びたこの蔵は、大正時代に”米蔵”として建てられ、富山県東部一帯の大穀倉地帯の米を一手に集め、常時5千石(100t)もの米が収められていた。そしてこの蔵は、教科書にも載っている『米騒動』が起きた現場だ。 『米騒動』は、日本人のほどんどが知っている事件だが、その詳しいことは、あまり知られていない。事件からもうすぐ100年を迎えるにあたり、100年前と変わらぬ姿の蔵を舞台に、なぜ事件が『魚津』から起こったのか?そしてその実態や真相を確かめてみたい、そう想っている地元魚津の人たちがいる。”米騒動は誤解されている”、”暴動や一揆ではない”と口々に言い、さらに事件のディティールには『教科書に載っていない何か』『魚津の主婦による大切な暮らしの中の想いや願い』が、その裏側に秘められているという。 一世紀が経ち、魚津でも事件の風化が起きている。誤解となにか?暮らしの中の想いとはどんなことか?まず世間に知られる米騒動とは下記のとおりである。

【米騒動】1918年(大正7)7~9月、米価の暴騰のために生活難に苦しんでいた大衆が米の廉売を要求して米屋・富豪・警察などを襲撃した事件。富山県の魚津に起こって全国に波及し、労働者・農民を主力とする未曾有の大民衆暴動に発展、軍隊が鎮圧に出動した。この事件で寺内内閣が倒れた。(引用:広辞苑)

生活苦に苦しむ大衆や労働者・農民とは、漁師の妻たちで、参加したのは女性ばかりであった。また襲撃したとされる行動の実態は、その日その日で米を買っていた慎ましい暮らしから出た哀願であり、逮捕者はゼロ、暴力的なものでは全くなかったという。 100歳の蔵は、今なお現役だ。米騒動の後も、昭和、平成と激動の時代に所有者を変えながら、奇跡的にその姿を変えることなく使われ続けている活きた歴史遺産でもある。現在は、魚津の街に400年前から伝わる伝統漁の道具が置かれ潮の香りが立ち込める。蔵から運び出され行われる漁は、100年前の漁師たちの暮らしを彷彿とさせ、過去と今をつなぐ役割を果たしてくれる。 映画では『米騒動の真相』と、その中心となった『漁師町の人々の暮らし』を百年前からの生き証人である蔵が見てきた真実や風景として描きたい。 そこには100年間の中で、我々が失ってしまった地域の共同体や絆、ほこりなどが垣間見られるのではないか。さわにそれは魚津だけにとどまらず、100年間で目まぐるしい変化を遂げてきた近代日本、全国の町や地域にも通底する課題でもあるのではないだろうか。魚津で起こった歴史的事件や当時の暮らしを再検証していく温故知新のプロジェクトを立ち上げ、地元の高校生から高齢者までが一丸となり挑む姿を記録することで、魚津の風土が浮かび上がってくる。

撮影:小野塚正直/黒川佳輔
プロデューサー:三浦庸子/北村皆雄