平成30年12月1日から一ヶ月 ポレポレ東中野(東京都中野区東中野4丁目4−1)で上映

大正七年(1918) 北陸・富山 母ちゃんたちの愛と非暴力の20日間戦争

大正デモクラシーの先駆けとなった〈米騒動〉
それは、富山湾の漁師町・魚津の母ちゃんたちがあげた声からはじまった。
「米を安く売って」「米を他所へやらんといて」
父ちゃんや、家族のお腹を満たすため必死の懇願だった。

米騒動のわずか17日後、魚津町は貧民の救済と米の安売りに乗り出し、一万人の人々の生きる道が開かれる。
なぜ母ちゃんたちの声は聞き届けられたのか?
100年前の事件が私たちに遺したものとは?

漁師町・魚津から起こった日本最大の民衆蜂起〈米騒動〉
一世紀を経て、その驚きの実態と結末が明らかになる。

米騒動ドキュメンタリー映画『百年の蔵』 100年の蔵
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文部科学省選定
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)
独立行政法人芸術文化振興会

<スタッフ>
語り : 佐藤B作
監督 : 神 央
プロデューサー : 三浦庸子・北村皆雄
製作 : 『百年の蔵』映画制作委員会 / ヴィジュアルフォークロア
<概要>
語りは佐藤B作。監督は数々のテレビドキュメンタリーを手がけてきた神央(じん・あきら)による劇場初公開作。
富山県魚津の人々が中心となって制作に臨み、「富山の米騒動」100年となる2018年に完成。美しい富山湾の風土、そこでたくましく生きてきた人々の姿を描き、富山県内で話題を呼んだ本作がいよいよ東京ポレポレ東中野を皮切りに全国公開となる。
100年前に力をふりしぼった、辛抱強くて、したたかで、やさしい母ちゃんたちの姿をみよ!
米騒動ドキュメンタリー映画『百年の蔵』 100年の蔵

米騒動発祥(1918年)100周年を目前にして、ドキュメンタリー映画『百年の蔵』が制作されます。後世に残る映像として、と制作意欲に燃えている監督の講演会を開催します。ふるさと魚津で、どんな環境で、なにが起こったのか。 若い人の目になにが見えるのか。探訪の始まり・・

米騒動ドキュメンタリー映画『百年の蔵』 100年の蔵

高校生たちが米騒動や米蔵をめぐって、魚津の海から山の自然や人々の生活をめぐって、体験、探索、聞き取りを重ねていく中で、さまざまな疑問に出会い、新たな発見をしていきます。

米騒動ドキュメンタリー映画『百年の蔵』 100年の蔵

大正7年(1918) 7月23日朝、魚津浜に数十名の漁師のおかか(妻)たちが集まり、十二銀行の米蔵から米を積み出して蒸気船に運ぶ作業を阻止しました。不漁続きの上に、米が急騰して日々の米も買えないのは、他所(北海道)へ米を持ち出すせいだと思ったからです。漁師の家は一升飯の必要なおとと(夫)や子供たち、両親など大家族です。食事は米中心。米を得るため必死で米屋へ役場へ頼みに行ってもらちが明かず、覚悟の行動でした。これが全国紙に掲載され、生活苦を抱える人たちの共感を呼び、暴動が全国に及んだ結果、時の寺内内閣総辞職に至りました。地方の小規模な米騒動はすでに明治時代から、特に富山湾沿岸の漁師町では幾度となく繰り返されていたのですが、なぜここでは暴動にならなかったのでしょうか?

魚津の米騒動がどんな背景で起こったのか、今も大切にして、次代に伝えたいメッセージは何かをこの映画を通して共に考えます。 また、映像が描くさまざまな場面に、改めてこの地の魅力に気づかされることでしょう。2年にわたる撮影を経て2018年7月、米騒動百年の年に完成させる予定です。映画は更にDVD化して広く普及に努めます。 映画制作の意図をご理解いただいた皆様からの温かい協賛金をお願いいたします。

米騒動ドキュメンタリー映画『百年の蔵』 100年の蔵

魚津市地域活性化に取り組む人々等が「映画『百年の蔵』制作委員会」として連携し、魚津の素晴らしさを実感できる映画を制作するプロジェクトです。